なんでもない日

 

今日は帰り道、牧師さんのお葬式が静かに営まれていた。日頃見慣れない黒いスーツの人が、教会の前に数人立っていたので何事かと思って見てしまった。

 

牧師さんとだけあって人より強い死生観を持って生きてこられたであろう。死後の世界をどのように捉え、死ぬ間際に何を思ったのか、少し気になってしまった。

それと同時に、自分にとっては何ともない日常が、故人にとっては2度と訪れることのない日々となるのであろう、と思うと少し寂しくなった。

辺りを見渡すと、自転車に乗った小学生くらいの子や仕事帰りのサラリーマンがいて、私も含めて100年後、誰もこの地に居ないのだと思うと不思議な感覚に陥った。まるでバーチャルの中で生きているみたい。いつかはゲームオーバーに。いや、クリアという考え方が私は好きかな。

仏教的な考え方かもしれないが、「生きることが1番の苦行」ということを聞いたことがある。それは確かにそうかもしれない。毎日食事をしなければ生きていけないし、そのために働かなくてはならない。何かしなければ生きていけない。自分だけで完結するのではなく、色々な人間関係が複雑に交差するこの世の中。ため息が出ちゃうことも無いとは言わない。

でも人生は良いことが半分、悪いことが半分、と決まっているらしい。だから気を落とさずに、身の回りにある良いことにも目を向けてあげて、コツコツ積み上げていくのがいいのかも。

そういえば、JRの接触事故が後をたたない最近。この前は、「今日の仕事は楽しみですか」という品川駅の広告で大炎上。なんとも悲しい世の中だ。

少しユーモアのある広告を掲示すると、馬鹿にしてるのか、と言われ炎上する。

 

狂いがちな世の中で今日も明日も生きてゆく。

生きねば。