1番尊敬できて愉快な先生

 

友達みたいな先生と今年も恒例の食事会。

 

我々の歳の差45歳なのだが(爆笑)、なぜか波長と話が合い、かれこれ19の頃から今に至るまで食事会を定期開催。

 

第一印象は強面で怖かったので、履修したことを後悔したんだよね。

ロースクールの教授ということもあって、単位には厳しそう。

履修人数はたった4人。

これはオワタ…と思っていたのも束の間。

授業はいつの間にか、お土産交換会に。英米法を研究する先生は、イギリス土産やNZ土産を毎回配ってくれた。たねやのどら焼きも配ってくれた。『たねやが1番美味しいんだよ!』と先生が言うから『ほんと?』と思って、そごうのどら焼き全部買って味比べした。

憲法発展演習だったのに、私はどら焼き研究に励む。

結果、私もたねやがデパート部門では1位だと思った。赤の方ね。

おかきを配った日には、私が発表してるのに『バリバリ、ボリボリ』すごい音をたてながら先生食べるから笑いを抑えるために震える声で発表。過去1厳しい環境下での発表だった。

 

仲良くなるきっかけは…なんだったかな。まずは息子さんの誕生日が私と同じだったことで盛り上がるのが1つ。あとは、確か裁判所か何かのセミナーに参加させられて、感想文を書かせられたこと。

どうやら受けが良かったらしく、それからカレンダーやらお土産をさらに貰うよになり、ローの勧誘を受けた。断ったら冷たくなるかな?とか思ったけどそんなことも全くなく、私の選んだ別の道を応援してくれた。研究室でお茶をして一緒に帰ったり、ご飯を食べたり(先生は気を遣って大概誰かを呼んでご飯会、何回も知らない人とご飯を食べた笑)、今思うととっても楽しかった青春時代。

約1年間は先生のアシスタントとして授業進行もしたり。(頷く役)

 

母親も、私がよく先生と食事に行ったりお茶してることを知っていたので、『大丈夫なの?』と何度も釘を刺された。

友達も、『大丈夫なの?』と、何回か言ってきた。側から見たらそうなるか。

そんなこと言われると、自分でもあまりに良くしてもらいすぎて『大丈夫なの?』と思わなくもなかったけど、本当にユーモア溢れてていい人。私にとっては異国の話も世間話も、着眼点が違いすぎてとても嬉しかった。

 

母親と大学に行ったことは2回だけあって、1回は入学式。

ケンカしながら校門まで歩いた思い出。大学が余りにも遠すぎて、歩いても歩いても着かないからキレ始める。

かといって、私も入試の時しか来たことながないので分からずケンカ。

なんでこんなところに来たんだろうと、入学する前から思ってたけど、さらに通う気が失せた入学式。

あれから4年後…

母の記念すべき第2回大学チャレンジ!

この日は卒業式でもなんでもなく、4年間大学に通う途中に、お気に入りのお店が出来たので、紹介してあげようと思って2人で周辺ぶらり。

先生も母もお会いしたいとのことなので、いつもの感じで待ち合わせ。

楽しい時間を過ごし、母も先生を理解(側から見たら三者面談)。

キレながら通い始めた大学も、気がつけば卒業する頃には名残惜しい感じになっていた…母も素敵な大学生活を送れて良かったね、と初めて言ってくれた。

 

先生も私と同じ年に定年退職。

一緒に仲良く卒業となりました。

 

基本的に、家族に友達の名前も言わないし(『友達』としか言わない)ましてや、会わせることなんて無いのに、母としては珍しかっただろうな、と思う。自分でも。

 

前置きが長くなってしまった。思い出が沢山ありすぎて。

そんな先生も、今年で非常勤も卒業。

ラストの秋学期食事会となってしまった。

いつものお店で、いつものセットを食べるんだけど心寂しい感じがした。

先生は今まで以上に、何か寂しそうで、『これが今生の別れになるかも知れない』と毎度の冗談を言いながらも、帰る頃には『今生の別れにならないよう、私もまた会えるように頑張るね』と手を振って帰っていった。年齢を考えると、たしかに色々考える歳なのかもしれない。私は若いから、もっと頑張らなくちゃいけない。先生と会うと、あっけらかんとした楽観的な気分と、私も頑張ろうと思える気分を貰える。

先生とはまた今年か来年の頭に会うつもりでいるけど、これからも元気でいて欲しい。切に思った瞬間であった。

 

先生のとても素敵な言葉があったんだけど、またこれは次回に。