名古屋旅 旅と感染対策編

 

緊急事態宣言が発令される前に名古屋旅を決断した。

行く頃には、自宅療養者が増え、医療機関もパンク寸前の中、こうしてありがたくも旅に出掛けた。我々としては感染対策を十分に取った。

マスクもしっかりと着用し、除菌シート、水分補給、ワクチン接種、体調、全てをクリアして出掛けた。

 

どんな症状がでるかはっきりとした統計のないワクチン接種のリスクを負い、全ては「自己責任」で回る世の中。コロナにかかるのも自己責任、ある程度のリスクを負って我々も感染対策をしている。

 

お昼の番組で松本人志が以下のようなことを言っていた。

 

『リスクを負ってワクチンをした以上、ある程度行動することは良いのではないか。ワクチンを打ってない人と同じ扱いで押さえ込まれては、リスクを負った意味が無い。納得できない。』(概ねこんな感じ)

 

この意見は確かにそうだな、と思えた。

 

私自身、当初はワクチンを打つことは反対派だった。リスクを負いたくなかったというのが根底にある。若者の重症化率は極めて低く、かからないかもしれないコロナのために、ワクチンを打った後の発熱・倦怠感を味わいたくなかった。無症状で済むならなおのこと、打つ意味が薄れるではないか。

それにオリンピック前はさほどにコロナの感染率も今ほど大騒ぎされておらず、知らずのうちにコロナ問題は済むのでは無いかと安易に考えていた。

それがオリンピックが済むや否や、自宅療養という名の放置状態へ。抑え込みが効かなくなってきている。一時受け入れ先の体育館がテレビに映っていたが、その中で「自分の肺は自分で守ろう」と書いてある、楽な姿勢で寝るための紹介チラシが貼られていた。この言葉には妙なものを感じてしまった。

結局は自分のことは自分でなんとかしろ、ということではないか。

何をしてもすべてが結局自己責任であるなら、自分が責任を負える範囲内で行動すればいいと思う。

それは打つ・打たないに関わらずいえる。

結局打ってもコロナに感染することはあるわけだから、何が正しいのかは分からない。

 

私は、行動する理由付けとしてワクチンが有効的なワードになるのではないかと思う。

私自身、たまたま家族が打つということもあって、反対派の私も一緒に打っただけの話。深い話ではないけど、わたしも後付けの理由でワクチン接種したようなもの。だから打たない人を否定するわけではない。

 

何がいいのか分からないけど、色々な意見が飛び交う世の中。お門違いな意見というのは無いと思う。

それぞれがお互いの立場を理解しあって、共存していくしかない。言い分はそれぞれにあるのだから。

私自身も、いつコロナに感染してもおかしくない状況下で通勤・勤務しているので、日々戦々恐々としながら生きている。

旅先で感染するならまだしも、日常で感染するなんてもっと嫌だよね…仕事してるだけなのに。